弾けたその先「ぴありな通信vol97」より
こんばんは!!喜多方市塩川町で、ぴありな音楽教室を主宰しています、鈴木です。
子供の頃、見ていた「日本昔ばなし」。
お話しは覚えていなのに、今も印象に残っていてる、シーンがあります。
高齢の母親を背中におぶっている息子。
どちらかは覚えていませんが、見える景色に「この世は、どこまで続くのか?」と聞きます。
聞かれた方は、遠くの山を指さしました。
「あの山まで続くのだよ」
「なんて広いんだろうね」
こんな会話だったと記憶しています。
昔は、TVもないし、遠くに行くにも、車もないから、見えている世界が全てなんだろうな。
もし、世の中が「ここまで」って思っていたその山に行って、さらにその先に見える、果てしない世界を見た時どう思うのだろう?
なんて、子供ながらに思いました。
ピアノの演奏って、弾けてからが「本当のスタート」という感じがしませんか?
それは終わりのないもの。
弾いても弾いても「どうしたら」が続く。
そうそう、今まで弾けていたのに、急に弾けなくなる事もありますよね。
そして、そこから脱した時、それまで以上に音楽が良くなっている。
コンクールなんて、まさしくこれだと思います。
「弾けている」というのが大前提で、ここから、表現・技術を磨いていく。
だから、たった一音の音の出し方でさえ妥協できない、なんて事が頻繁に出てきます。
きっと、先生がなんでこんなに細かく指導するのかが、はじめのうちは理解できないと思います。
でも、実際、曲がまとまり出し、実際にコンクールで、他の参加者の音を聴き、理解出来るのかと思います。
「発表会」でも、こんな風に曲に向き合えたらいいのですが「とりあえず弾けたらゴール」と思っている生徒も多いと思います。
最初の日本昔ばなしでいう「本当の広さ」を知らないだけかもしれません。
教室には、色々な生徒がいます。
一人ひとり、性格も違います。
生活環境も違います。
曲の向き合い方も違います。
きっと、発表会の仕上がりも違うと思います。
指導をする際、指導者が限界を決める事もしてはいけない気もします。
でも、曲が弾けたら「ゴール」と生徒が間違った世界を作るのも残念な気がします。
「その先に広い世界がある事も知らず(見ようとせず)ここがゴールと思う」
「この先に広い世界があることを知った上で、ここをゴールとする」
この2つでは、全く意味が違うと思います。
私としては、後者であってほしいのです。(もっと、もっとこうしたい…と思う気持ちがあっても、現在の技術、時間的制限などで、まとめる(ゴール)しなくはいけない事もあると思うから)
今、自分の弾いている曲には、いくらでも良くなる可能性を秘め、曲を良くしていきながら、あなた自身も、色々な意味で成長出来る事に気付いてほしいと願っています。
私は、発表会では、一人ひとりが、それぞれに成果を発表出来たらそれで良いと思っています。
それでも、最後まで、その曲の持つ可能性を見つけ、磨き、輝かせ、それを成果としてくれたら嬉しく思います。
今回、お配りしている「ぴありな通信」では、この話をどうしたら短く伝わるか…考えた結果、西遊記のお話しの冒頭を使わせてもらいました。
今回も、発表会の連絡事項も一杯あります。
お釈迦様の手を、まずは超えましょ。
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