しょうこ先生は、街のピアノの先生の星
こんばんは!!喜多方市塩川町で、ぴありな音楽教室を主宰しています、鈴木です。
私が、ますこしょうこ先生の存在を、どうして知ったのかは覚えていません。
最初にお会いしたのは、2012年夏に、東京・六本木で開催された、しょうこ先生のセミナーでした。
「生徒も親も輝き出す!益子祥子先生のピアノ教室」という内容のセミナーでした。
実は、同タイトルのセミナーが、あっという間に、満席になってしまい、それを受けての2回目の開催となりました。
しょうこ先生の教室は、当時、お一人で80人以上の生徒さんを指導されれている、人気の教室でした。
セミナーの内容は、
【1】「動きのある教室の作り方」
【2】「コミュニケーション術」
【3】「レッスンアイディア」「イベント」
私は、ピアノの先生になってから、◇演奏法 ◇教材の使い方 ◇リズム、リトミック、ペダル・・・それはそれは、たくさんのセミナーに参加し、多岐にわたって、学びました。
でも、この時のセミナーは、講師は同じ街の先生でもある(同じ…と言っては失礼ですが)しょうこ先生、そして、同じ目線から物事を捉え話をされるセミナーは、大変勉強になりました。
しょうこ先生は、セミナーで、惜しげもなく、自宅で開いている音楽教室ついて話されました。
セミナーでは実践されている事はもちろん、人間力も学びました。
翌年は、本も出版され、出版記念セミナーとして、翌年も、東京・六本木で開催されたセミナーに参加をしました。
また、セミナーの中で話された、しょうこ先生の手作りの「レッスンノート」が注目されました。
やがて、その、しょうこ先生監修の「レッスンノート」も出版される事となり、「レッスンノート」のセミナーを新潟にて、受講しました。
新潟のセミナー開始前の雑談で、
「この前、福島に行ったの、猪苗代の野口五郎記念館にも行ったの~」
って、ずっと、楽しそうにしているから、切り出せなくって、話が終わった所で、
「先生、あの~野口五郎じゃなくって、野口英世ですよね」
「ギャハハ~」
と、しょうこ先生は、爆笑しました。
私が、最初にセミナーを受けた頃から、どんどんどんどん、しょうこ先生は、有名になりました。
でも、どんなに有名になっても、気さくな先生でした。
かと思うと、私が「悩んでいる事」「わからない事」を相談すると、お忙しいにも関わらず、即、丁寧に答えてくださいました。
きっと、私と同じように、ピアノ教師としての「悩み・不安」を救ってもらった先生方もたくさん、いらっしゃると思います。
まるで、暗闇の中で、きらり輝く星のように・・・
昨年は、長年の夢だった、しょうこ先生のお教室の発表会に聴きに行く事が出来ました。
今年春に、体調が悪化し、第一線を退かれた時は、先生の苦渋の決断、そして、前を走る背中が見えなくなる事に切なくなりました。
行動力のあるしょうこ先生は、2011年の震災の時、全国から、使わない未使用の楽譜を集め、被災地に贈る活動もしました。
当時、80人以上も生徒を抱えている中での作業です。
に対して、私は新しい事をはじめる事が苦手。
今、現在、教室で使っている「レッスンノート」も、
発表会の「感想ノート」も、
発表会の「継続表彰」も、
全て、アドバイスをいただき、背中を押してもらいました。
時に「石橋を叩いて渡れない」私に対し「大丈夫、叩いても割れないから、石屋の女房が言っているんだから間違いない」って
昨日は、朝から外出、忙しくしていました。
ネットをつないだのは、夜の10時過ぎ。
そして、しょうこ先生の「訃報」を知りました。
昨日は、自分の感情をどこに待って行っていいのかわからなく、しょうこ先生のセミナーでご縁が出来た先生に、メッセージを送りました。
相手も同じ気持ちなのは、わかっていました。
だから、私も、相手からの「どこに持って行っていいのかわからない感情」をもらいました。
同じボールを投げ合った感じです。
昨日・今日と時に泣き、ぼんやり考え込みました。
でも、また、明日から、切り替えます。
だって、しょうこ先生は「音楽で子どもたちを幸せにする事」そして「ピアノ教師は、素晴らしい職業」という事を伝えていたから。
時々、思い出して、悲しくなっちゃうとは思うけど・・・
私は、しょうこ先生から、本当に多くを学びました。
ますこしょうこ先生、ありがとう。
2度目の、東京での出版記念のセミナーの際に書いていただきました。
最後の著書となってしまいましたが、今年の夏に出版された本を読んで、発表会前「何のために、発表会をやるのだろう?」と気持ちが後ろに向き始めた時に、読んで、元気をもらえました。
◇新規生徒・体験レッスンを再開しました。